人の心は自由にならない
2008.02.02 | Posted at 04:48 | Category: こうふくのえとせとら
自分の自由にならないことでクヨクヨしだすと、そのことで出口のない悩みに入るし、実際に、自分の自由にならないことでいくら悩んでも解決は着かない。苦しいだけで何の益にもならないし、精神衛生上もよろしくない。
解決の道は、自分の自由になること、自分の努力で変えられることに心を切り替えるところにあります。
結局、自分のコントロールの効かないことに関しては、貴重な時間を使わない、忘れてしまうというテクニックを、松井秀喜という人は身に付けている。あるいは身に付けようと心がけていると思う。
上司に同僚が褒められているのを見て嫉妬の心が湧くのは人情だが「私も褒めてください」とは言えまい。何人かがこちらを見て笑っているからといって、「あんたたち、私の悪口言ってたんでしょう」とは言えまい。まあ、そういうことが言える人は、同僚への嫉妬や、人の陰口で悩むようなこともないだろうが、普通の人は、嫉妬や猜疑心で心を悩ますことになる。
その時、「ああ、自分の自由にならないことで悩むのはやめよう」と思わなければいけない。人が自分にひどいことを言ったとして、その相手の心は自分の自由にはならない。そのとき、どうするかだ。
<<松井秀喜という人 | | こうふくのえとせとら | | 忘れるということ 「忘れることも愛である」>>
Trackback URL
Trackbacks
Comments
comment