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許しについて7 自分が人を見る時の目の未熟さについて

2008.02.02 | Posted at 05:37 | Category: こうふくのえとせとら

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自分を許すには、まず最初に自分の非を発見し、それを詫びるということがどうしても必要です。なぜならそうしなければ人の許しが受けられないないからです。結局、相手との関係に問題が生ずるのは、心の問題なのです。
実際上の言葉のやりとり、お互いの行動というものが直接の原因になったとしても、そこにある真の原因は自分の心の傾向性であり、人生の課題であるのです。相手を通してその問題を発見し学んでいると言っても良いのです。

その問題とは何でしょう。偉くなっている自分です。人を裁き批判する自分です。相手より自分が上だと思っている増冗漫です。慢心です。簡単に相手をこういう人間だときめつける浅薄さです。
かならず相手をみくびっている自分があるはずです。自分の方が正しいと思っているはずです。それが相手に伝わるのです、そうして同じ種類の報復を受けるのです。ですから、まず相手との関係のなかで最初のつまずきをよくよく思い出して、そこにある自分の側の非を、誤りを発見してみてください。かならずあるはずです。

100パーセント相手だけが悪いということはありません。もし自分の非が発見できないとしたら、それは自分の自分を見る目が未熟なのだと思ってください。それはまた、自分が人を見る時の目も未熟だということを意味するのですが。

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