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心の姿2

2008.02.02 | Posted at 04:24 | Category: こうふくのえとせとら

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あなたが怒ったとする、憎んだとする、恨んだとする、その時、心は怒りの姿、憎しみの姿、恨みの姿、をしている。これは比喩には違いないが、目には見えない心であるからこそ、変幻自在であるということの比喩である。ただの脅しと思ってはいけない。心に姿などないと思ってはいけない。
心こそが自分自身であるとは、再三述べたことだが、心が怒りの姿、憎しみの姿、恨みの姿をとるとき、それが自分自身であり、自分の姿であるということを、比喩ではなく、実体論として理解できるだろうか。いま自分が、そうした姿をしているということを、見ることができるであろうか。

いま、そうした姿であるということを、怒りや憎しみ恨みが、形をとって、あなた自身の姿となっていることを目にしたときに、鏡に映して見たときに我慢できるであろうか、平気でいられるであろうか。肉眼に見えるものがすべてであると思ってはいけない。神ならぬわれらではあるが、神の目から見るなら、人間は心の姿としてしか見えない。
男であるとか女であるとか、背が低いとか高いとか、太っているとか痩せているとか、美人であるとか、ぶ男であるとか、そうした外観は、本当は無いのだ。人間の本当の姿とは、心の姿を言う。心が自分自身であるとは、そのことを言う。

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