Home > こうふくのえとせとら > ダイヤモンドの比喩

<< | ダイヤモンドの比喩 | >>

ダイヤモンドの比喩

2008.02.02 | Posted at 03:33 | Category: こうふくのえとせとら

13931602_T3
ダイヤモンドの比喩とは何か。人間が本来ダイヤモンドであるとは、どういうことなのか。それは本来、人間は自らのうちに輝きを発することのできるものであり、明るく世を照らすことのできるものである、と言うことである。そうした本当の自分に立ち戻ることが人間にとっての幸福であるのだ。

不幸に打ち沈む人は聞いて欲しい。自らのうちに輝きを発するとはどういうことなのか。その輝きによって、我しらず周りを照らすとはどういうことなのか。
不幸であると言うことは哀しく辛いものである。人の本当の苦しみを、私は分かるなぞとは言わない。本当に親身になってくれる人がおれば、少しは苦しみも和らぐかもしれないが、しかしまた、同情や慰めは本当の役には立たないのだ。本当の救いにはならない。
苦しみの時に本当に親身になってくれる人がいるのはありがたいものだ。嬉しいものだ。彼らは外の光と言える。そのような人びとのおかげでどれだけの人が救われてきただろう。敬虔な感謝の思いを禁じえない。
しかし厳しいことを言うようだが、いつまでも外の光に頼っていてはならない。そのままでは真の幸福にたどり着くことはできない。

太平洋戦争当時、日本に占領されその後アメリカの信託統治領になっている太平洋のある島の長老が「アメリカは缶詰をくれた。日本は働くことを教えた。日本のやり方は強制的で恨んだが、今となれば、缶詰をくれるアメリカより、仕事を教えてくれた日本の方がありがたい」と言っていたそうだ。
食うものが無い時、缶詰はありがたい。そのことは否定できない。日本も敗戦時、大量の食糧援助を受けた。しかし、それに頼り切っていたら、今日の日本は無い。

個人と政治はちがうとお考えのかたもあるだろう。しかし、自助努力ということに関しては個人も共同体も同じ原理のもとにある。受けるべき援助はありがたく受けるにしても、どうしたら自らも輝くことができるかを考えなければならない。
人が本来ダイヤモンドでないのなら、そうした要求は厳しすぎるだろう。だが真の幸福を求めるなら、そのことを信じ、努力しなければならない。真の幸福とは自らが輝くことなのだから。

Pocket

<< | | こうふくのえとせとら | | >>

Trackback URL

Trackbacks

Comments

comment