Home > こうふくのえとせとら > 性善説3

<< | 性善説3 | >>

性善説3

2008.02.02 | Posted at 03:29 | Category: こうふくのえとせとら

13931602_T3
あなたは本当はダイヤモンドなのだと言うのと、石ころなのだと言うのとでは単に比喩としてだけ考えても天と地ほどの違いがある。
しかも石ころの人もおれば、ダイヤモンドの人もおると言うのではない。光っているダイヤモンドと、泥にまみれたダイヤモンドがあるだけなのだという人間観である。
光っているダイヤモンドは幸福な人で、泥にまみれたダイヤモンドはおそらく不幸な人なのだ。光っている自分は本物の自分で、泥のついた自分はにせものの自分なのだ。

泥を落とせば、輝きを取り戻すことができる。にせものの自分に気づくとはそのようなことである。本来の自分がダイヤモンドでないのなら、泥を落としても輝きだすことは無い。本来ダイヤモンドでないのなら、にせものの自分も本物の自分もありはしない。本来ダイヤモンドなのに輝いていないからにせものだと言うのである。

Pocket

<< | | こうふくのえとせとら | | >>

Trackback URL

Trackbacks

Comments

comment