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祈りについて 心すなおに、助力を乞うが良い。

2008.03.16 | Posted at 10:01 | Category: こうふくのえとせとら

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祈りによって、救いを求めることを躊躇するのは、謙虚ということにはならない。かくありたいと望むことは欲望でも、執着でもない。真剣に幸福をのぞむなら、心すなおに、助力を乞うが良い。

祈りを使わなすぎる。それは真に、自分の幸福を願っていないからだ。真剣にものごとの解決を願っていないからだ。ぬるま湯にひたったままでいるからだ。祈りをつかわないのは、謙虚でもひかえめなことでもなくて、かえって傲慢なのだ。

この世の問題の解決は、この世的、おのれの力でする、主体性はあくまで自分にある、というのは、正しい考え方ではあるが、その自助努力と思っているものが、単なる強がりではないかと思い返してみる必要がある。

祈るといっても、ただ単に他力本願で丸投げするわけではない。努力いたしますので、足りないところはお力添えくださいと祈るのである。何かを求めるということが、うしろめたい、はずかしい、欲張りだ、と考えるのは謙虚でもなんでもない、欺瞞だ、偽善だ。本当にこうありたい、こうなりたいと願っているなら、本心がそうであるなら、そのために祈りを躊躇するというのは、薄笑いをうかべた偽善である。

求めぬことによって、いかにも奥ゆかしいと誰かから評価されたい、誉められたいというさもしい根性である。苦しいのなら祈りなさい。それが謙虚というものである。
(旧ウエブサイトの日記より転載)

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