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格差是正について考える

2012.05.09 | Posted at 10:49 | Category: 政治・経済・社会

「格差の原因」は是正のしようがない。

格差是正という言葉が、どうも良く理解できない。
社会的弱者と強者があって、差があるということは、当たり前のことだと思う。
結果によって生ずる不平等を格差と呼んで、これを是正するというのは、はたして正しいだろうか。

まず、格差という概念が、あやふやだ。
国会などで、格差、格差と騒いでいる議員さんも、どうも良く分かっていないし、自民党を潰すのに、年越し村などでキャンペーンを打ったマスコミも、知ってか知らずか、気分でこの言葉を使っている。

格差という概念から、まず除外しておきたいのは、本当に社会的、経済的に通常の生活が困難な方々である。
病気や事故で、心身に障害のある方、身寄りの無い経済困窮の独居老人、働き手の無い母子家庭など、生活格差とか、経済格差とかいうのは当然生ずる。
こういう方々は当然救済しなければならないのであって、最低限のセーフティネットは、国家なり社会全体の責任である。

ただ、こういう方々を、格差の対象に入れることは、正しくないと私は考える。
格差云々の問題ではなく、基本的人権の問題であり、社会が当然果たすべき庇護の問題である。

これらの方々への手当てが不足しているとか、配慮が足りないということは、格差問題とは関係ないし、是正の論議にはそぐわない。
それは、「格差」の問題ではなく「ハンデ」の問題であって、「ハンデ」は是正と言う言葉で処理できる問題ではない。
だから、議員さんや、マスコミがこの問題で是正と言っているのは、「ハンデ」によって生ずる「格差」のことであって、それは「是正」の問題ではなく「救済」「庇護」「福祉」の問題であると言っておきたい。

次に、不況等によって就職が困難であるとか、失業するとか、非正規雇用などの事例だが、この場合の生活困窮であるとか、経済的苦痛であるとかは、果たして格差是正という言葉が、当てはまるのであろうか。
また、こうしたことで生ずる、生活格差とか、経済格差に国家が口出しすると言うのは、正しいことだろうか。
百歩譲っても、それは「救済」なのであって、「是正」ではない。
「結果の格差」に対して「格差是正」が当然の権利のごとく、正義ででもあるかのごとく論議されるとしたら、それは悪しき平等主義であって、こうした事例をもって、格差があるから是正しなければならない、という論議は、論理的にずれている。

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